「誘惑に負けるな!!」...という根拠って?...

「杜子春」の話をふと思い出した...
と同時に...キリストに対するサタンの誘惑の話も...^^

画像:amazon より Orz~
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杜子春」(とししゅん)は、芥川龍之介1920年(大正9年)に雑誌『赤い鳥』に発表した子供向けの短編小説。主人公の名前でもある。中国の古典、鄭還古の『杜子春伝』を童話化したもの。

あらすじ
唐王朝洛陽の都。西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。彼は金持ちの息子だったが、親の遺産で遊び暮らして散財し、今は乞食同然になっていた。
そんな彼を哀れんだ片眼すがめの不思議な老人が、「この場所を掘る様に」と杜子春に言い含める。その場所からは荷車一輌分の黄金が掘り出され、たちまち杜子春は大富豪になる。しかし財産を浪費するうちに、3年後には一文無しになってしまう。杜子春はまた西門の下で老人に出会っては黄金を掘り出し、金持ちになっても遊び暮らして蕩尽する。
3度目、西門の下に来た杜子春の心境には変化があった。金持ちの自分は周囲からちやほやされるが、一文無しになれば手を返したように冷たくあしらわれる。人間というものに愛想を尽かした杜子春は老人が仙人であることを見破り、仙術を教えてほしいと懇願する。そこで老人は自分が鉄冠子(小説『三国志演義』などに登場する左慈の号)という仙人であることを明かし、自分の住むという峨眉山へ連れて行く。
峨眉山の頂上に一人残された杜子春は試練を受ける。鉄冠子が帰ってくるまで、何があっても口をきいてはならないのというのだ。虎や大蛇に襲われても、彼の姿を怪しんだ神に突き殺されても、地獄に落ちて責め苦を加えられても、杜子春は一言も言わない。怒った閻魔大王は、畜生道に落ちた杜子春の両親を連れて来させると、彼の前で鬼たちにめった打ちにさせる。無言を貫いていた杜子春だったが、苦しみながらも杜子春を思う母親の心を知り、耐え切れず「お母さん!」と一声、叫んでしまった。
叫ぶと同時に杜子春は現実に戻される。洛陽の門の下、春の日暮れ、すべては仙人が見せていた幻だった。これからは人間らしい暮らしをすると言う杜子春に、仙人は泰山の麓にある一軒の家と畑を与えて去った。

原作との相違点
原作の「杜子春伝」では、杜子春は地獄に落ちた後、女に生まれ変わって誕生するが、やはり全く物を言わず、結婚して子を産んでも喜びの声一つ発しなかったため、怒った夫が赤ん坊を叩き殺し、そこで妻(杜子春)が悲鳴を上げたところで現実に戻り、仙人は声を出さなかったら仙薬ができ仙人になれたのに、と言って突き放す。芥川は、親が地獄の責め苦を受ける場面に変えて、「あの時もし声を出さなかったら、お前を殺していた」と仙人に言わせ、より人間味にあふれた話へ変えると共に児童向けの教育的な物語にアレンジしている。」

*これは...原作に比べたら...雲泥の差のヒューマンだよね!!
人間に愛想を尽かしたっていう杜子春自身も...同じ人間だってことに気づいてないような...^^;
架空世界に逃げてる...
今のわたしは...まだ...仙人の世界に連れて行ってもらいたいなんて...これっぽっちも思わないのよねぇ...Orz...
画像:http://ja.wikipedia.org/wiki/荒野の誘惑 より
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荒野の誘惑あらののゆうわく)はキリスト教聖書正典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。キリスト教教理において重要な役割を果たしており、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。
洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエスは霊によって荒れ野に送り出され、そこに40日間留まり、悪魔(サタン)の誘惑を受けた。・・・
悪魔の誘惑 
40日の断食を終え、空腹を感じていたイエスの前に悪魔が現れ、神の子であるならば、石をパンに変えるよう命じたらどうだ、と問う。それに対して、イエスは「人はパンにのみ生きるのではない。エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならないと書いてある」(申命記 8:3)と答える。
次に悪魔は、イエスをエルサレム神殿の屋根に立たせ、神の子であるなら、飛び降りてみろ、という。天使たちが受け止めてくれるからである。イエスは「あなた方の神エホバを試みてはならない」(申命記 6:16)と切り返す(ルカ伝では2つ目と3つ目の誘惑が逆)。
最後に悪魔は、イエスを世界中が見渡せる高みに上せ、もし私にひれ伏すならこれを全て与えよう、と誘惑する。イエスは「あなたの神エホバを恐れ,この方に仕えるべきである」(申命記 6:13)「『あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,この方だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあります」(ルカ4:1‐13)と答え、退ける。悪魔はあらゆる誘惑を終え、その場を去る。」

*悪魔の方が人間的に思えちゃう...^^; 
禁欲/克己こそが...崇高なるものなんだろか...?
しかも...彼が...「杜子春」だったなら...
霊との約束を守り通して...
最後まで声を出さずにいれたんだろか...?...
それも...人間的な感情に負けないことが...
神との契約を破ることよりも優先されるべきだとも...?...
おかしいと思う自分の感情を信頼しなくて...
神との約束を死守するなんて...
アンチヒューマンこの上ないじゃん!!...?...
おかしげな/理不尽な神様との約束なんて破棄すりゃいいんだ!!
じっさい...神の前で誓った永遠の愛をみんな反古にしてるじゃないですかい!!...
Orz...

サタンはアダムとイブを誘惑して、ついにアダムは原罪を犯してしまいました。このことによって全ての人間は罪人となり、の歴史が始まるのです。

たちまち罪の結果があらわれました。アダムとイブは自分たちが裸であることを知ったのです。それまでアダムとイブを暖かく包んでいた神の祝福が消えました。神の祝福が消えると自分たちがどんなに惨めな者であるかを知って、慌てて無花果の葉で自分たちの腰を覆いました。アダムとイブは自分たちの裸の肉体を隠しただけではありませんでした。このとき互いに心の奥底にある思いまでも隠してしまったのです。


それ以来、アダムはイブに対して、心の中に秘密を作るようになりました。イブもまたアダムに対して心の秘密を作るようになりました。そして二人は生涯、心から一つとなるこ とができなくなってしまいました。それは何と重い苦しみとなっただろうか。アダムは自分がその木の実を食べたことを悔い改めるのではなく、イブがその木の実を自分に食べさせたことをで彼女を責めたです。イブも自分がアダムにその実を食べさせたことを悔い改めるのではなく、アダムがその実を食べたことについて彼を責めたです。・・・
はイブに罰として出産の苦しみを与えた。出産は本来、女の最高の喜びとなるものであったが、それに最高の苦しみが伴うことになった。出産だけではない。女性 は子どもを生んで育てることに生涯の最善の時を捧げなければならなくなった。子どもを育て終わると女性の輝かしい時代は去ってしまう。神はさらに、女性は男性に支配されることを宣言した。女性は本来、進んで男性を助けるために創造されたのであった。しかし、イブはアダムを助けずに、誘惑に 誘い込んだ。それゆえに、神は罰として、女性がいやいやながら男性を助けなければならなくしたのです。

はアダムに向って、すべての男性に対する裁きを宣言しました。すべての男性は額に汗を流して、自分の食物を稼がなければならなくなりました。男性は本来、食べるために働くべき者ではなく、の栄光を現わすために働くべき者でした。しかしの栄光をあらわそうとしなかったので、食べるために働かなければならなくなってしまいました。食べるために働 くことは奴隷の仕事です。すべての男性は奴隷となったのです。しかも、仕事ははかどらない。土地はあざみといばらを生えさせる。一生苦しんで働いた後、最後は死んで、土となるのである。それが人間の運命となりました。人間は、エデンの園から追い出されて、洪水以前の世界で生きていかなければならなくなりました。


エデンの園で原罪を犯してしまったアダムは第一のアダムといわれています。第二のアダムは神の子キリストです。
 は、第一のアダムの罪を全ての人間に及ぼしたのと同じように、第二のアダムの義を、彼に従うすべての者に及ぼします。第一のアダムの罪を全ての人間の罪とした以上、第二のアダムの義を、彼によって代表されるすべての者の義とするのです。第一のアダムはサタンの誘惑に負けてしまいました。しかしサタンがキリストを誘惑したとき、第二のアダムは誘惑に勝ちました。」

自らの欲望に忠実に生きることが罪であることの理由がわからない...
自らの欲望に忠実であれって囁いた/諭したサタンこそ...
アダムもイブも感謝こそすれ...忌み憎むべき存在じゃないと思うけど...
どこかで...逆転の暗示がかけられてる...?
原罪って...どうしてそんなに罪なわけ...?
なぜに...いつまでも、トラウマに苛まれさせられなきゃいけないわけ...?
それを救うのが神様だって...?
マッチポンプにしか思えない構図...^^;...Orz...
神の手足となる/僕(しもべ)となる=奴隷となるよりも...
神よりも自由に空を飛んじゃえばいいと思うんだけどなぁ...?
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コメント

No title

スモークマン


ま、ストイックって言葉は...内面は凄い欲望との戦い/葛藤の裏腹の表現だよね...だって...欲が最初からなけりゃ...禁欲する必要もないし...他人のことも気にならず...痛痒も感じず...風のようにこの世の生活を送れるはずだと...あの...ヘンリー・ダーガーっていう画家のように...^^?...それほど、人はストイックを羨望せずにはいられないような自分の反吐のでそうな生き方を知りつつもどうしようもなく/なす術もないままに生きてる/生きるってそういうことそのものなのかもしれないんだけど...Orz~

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スモークマン
>にゃんこさんへ ^^
エッセンスが伝わってればいいとは思うのですが...^^;
枝葉末節/デコは...本当はどうでもいいとわたしも思います...
キリストは...彼なりに生きただけ...それを他者がなぞらえて生きようとするのは自由だけど...おそらくは...別物...Orz...
宣教師は...彼の信者であり...自分だけならともかく...他者を折伏させようとすることは/またそれが可能と思っていたわけだけど...信仰の自由の侵害そのものだと...^^;

貴殿は...必要と感じるものがないってのは...仙人に近い♪

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nia*ko*uke*062
そもそも聖書・聖典なるものが現在に至るまでにどれだけの編纂をされているかを知ってほしいですよね。どれだけ時の権力者により都合よく書き換えられてきたか・・・。
信者をいかに不安や恐れを使ってコントロールしてきているか。現在でも・・・です。
いい例が観光バス内での「伝言ゲーム」たったあの人数ですらまともに伝言できないのですから、当然口伝なんかも結構いいかげんでしょう。しかも新約聖書のヨハネやマタイやルカなんかは”イエス”に会ってませんし(爆)禁欲って私も嫌いですが必要と感じないものが多すぎるのかもしれません。決して禁欲してません。(爆)
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