喀血(かっけつ)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

同じく http://www.mnet.ne.jp/~hospital/Protocol/Minor.html#5 より Orz~
「喀血の原因の多くは気管支拡張症であり、年寄りに多い。通常はアドナ・トランサミン等の止血剤投与にて収まるが、止血剤投与にても出血が持続し、呼吸困難を来たしてくるようであれば、陽圧呼吸による止血を考えなくてはならない。経鼻挿管を行い、鎮静剤を投与して調節呼吸を行う。それでも出血が持続するようであれば、PEEPをかけての陽圧呼吸を行う。これにてほとんどの症例は止血が出来る。それでも出血が続けば、血管造影にて気管支動脈の塞栓術を行うことを考慮する。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/喀血 より
「喀血とは、気道出血のことである。すなわち肺または気管支からの出血である。殆どが下大動脈の分枝である、気管支動脈からの動脈性出血である。通常咳を伴い、真っ赤な出血であり泡を含む。呼吸困難を伴うこともある。混同されがちの言葉に吐血、血痰がある。喀血が気道出血であるのに対して、吐血は消化管出血である。吐血の場合、胃潰瘍などによる胃あるいは十二指腸からの出血で、血液が胃液による酸化を受けて黒色となる。コーヒーの滓に似ており「コーヒー残渣様」と表現される。但し吐血でも肝硬変などに伴う食道静脈瘤からの出血は胃液と接触しないため赤い。

          喀血      吐血
出血状態      咳に伴う   嘔吐に伴う
性状        泡沫を伴う   食物残渣混入
pH(テステープ)  中性       酸性
随伴症状    胸痛、呼吸困難など 腹痛、嘔吐、嘔気、下血など

喀血を飲み込み、それを後に吐血することもあるため、両者の区別は時に難しいこともある。喀血と吐血の区別がつかない場合は呼吸器と消化器の両方の精査が必要である。
痰に血液が混じる場合があるが、これは通常、喀血とは呼ばず血痰という。血痰と喀血はどちらも気道出血を示す徴候であるため血痰の原因は喀血と同様であるが、そのほかに鼻血が鼻腔から喉に落ちて排出される場合や咽頭や喉頭の腫瘍からの出血などの耳鼻科的な問題であることもある。特に重要鑑別疾患は結核、肺がんである。喀血がおこる頻度は2008年現在、極めて少ないが、窒息のリスクがあるため、救急の対応は重要である。
喀血の原因
喀血の原因となる基礎疾患には、気管支拡張症・活動性肺結核・肺結核後遺症・肺アスペルギルス症・肺癌・特発性喀血症などがある。このうち特発性喀血症とは、特に背景となる基礎疾患を持たない喀血であり、胸部レントゲン・胸部CT・気管支鏡などを実施しても出血以外の異常を指摘できない。そのほとんどは喫煙者である。特発性喀血症は医師の間ですら認知度が低いが、喀血専門医にとってはありふれた疾患である。
喀血は気道出血であるため、窒息(気管・気管支閉塞)による死亡につながることがある。気道閉塞を起こすリスクは大量喀血を起こしやすい疾患で顕著に高い。大量喀血とは24時間以内に100?600ml以上の血液を喀出する場合であり致死率は80%にも及ぶ。そのような高リスクな疾患としては気管支動脈の浸潤を認める肺癌や嚢胞線維症、動静脈奇形、遺伝性出血性毛細血管拡張症、骨髄移植後、特発性肺炎症候群(肺炎後の喀血)などが知られている。好中球減少症や血小板減少症でもリスクとなる。
マネジメント
喀血は窒息死の恐れもあり、必ず医療機関を受診すべきである。 まず行うべきことは気道確保といった全身管理である。気管内挿管を行う場合は後に気管支鏡を挿入するために太めのチューブで挿入することが望ましい。そして、出血源の肺を下とする側臥位の姿勢をとらせる。これは患側から健側へ血液が流入するのを防ぐためである。出血源の精査は胸部X線で行うことが多い。単純X線、CT(単純X線で病変があるのなら造影CTで行った方が後に、気管支鏡が行いやすくなる。)、気管支鏡といった流れで検査を行うことが多いが、前述のように吐血や耳鼻科疾患との鑑別が不十分であった場合はGIF( GastroIntestinal Fiberscope 胃腸の内視鏡(カメラ))などをさらに追加する。結核が否定できなければ隔離の必要性も考慮する。
治療としてはまずは血管確保し、止血剤の点滴をする。ただし止血剤の点滴は一時的な対症療法であり、一旦止まっても再喀血の可能性が高い。根治療法としては気管支鏡下の止血術である。およそ5?10%の頻度で止血困難となる。その場合は血管内治療や開胸手術が検討される。近年、注目されているのが、超選択的気管支動脈塞栓術がある。これはカテーテルという血管造影用チューブを用いた局所麻酔下での治療であり、いわゆるカテーテルインターベンションの1種である。血管内治療を行った場合も塞栓後半年から一年で10?20%の頻度で再出血がおこるとされている。肺アスペルギルス症など、超選択的気管支動脈塞栓術の有効性が低い疾患については開胸手術が行われることもある。大量喀血の緊急手術は死亡率が20%とも言われており、非常に危険な状態である。・・・」

http://www.mnet.ne.jp/~hospital/Protocol/Minor.html#5 より Orz~
「血痰と喀血の違いは痰の中の血液量の違いであり、血痰は痰の中に血液成分が混じっている程度のもの、 喀血は喀出されたものがほとんど血液だけのものです。・・・」

喀血といえば、、、正岡子規を思い出しますね・・・彼の雅号「子規」はホトトギスのことで、、、
画像をご覧になればその意味はわかりますね...^^;v
自己諧謔精神旺盛な人ですね...♪

画像:正岡子規
kitaoka.seesaa.net/ article/28201779.html より Orz~
「21歳のとき喀血。それをきっかけにホトトギスの句を作り、以後「子規」という号を使い始めます。・・・28歳のときにカリエスと診断され、手術を受けてから次第に病状が悪化。
痛みのため、絶叫・号泣を繰り返す毎日。最晩年には麻痺剤を常用するようになります。
子規の門弟、河東碧梧桐の「君が絶筆」によれば、明治35年9月18日、朝から容体の思わしくなかった子規は、妹の律と碧梧桐に助けられながら、かろうじて筆を持つと、画板に貼った唐紙の先ず中央に「糸瓜咲て」と書きつける。
ここで碧梧桐が墨をついでやると「痰のつまりし」と書いた。
また墨をついでやると、「佛かな」と書き終え、投げるように筆を捨てながら続けざまに咳をするが、痰が切れずにいかにも苦しそうであった。
ようやく痰が切れると「痰一斗」の句を書き、また咳をする。
さらに間を置いて「をとゝひの」の句を少し斜めに書き、筆をやはり投げ捨てた。
筆は穂先のほうから白い寝床の上に落ちて、少しばかり墨のあとをつけた。
この間、子規は終始無言であった。」

画像:ホトトギス
www4.kcn.ne.jp/~fuji-y/ nakai/hototogisu/ より Orz~

http://blog.hix05.com/blog/2009/03/post_943.html より Orz~
「六年余りの病床生活を経て子規の病態はいよいよ抜き差しならなくなってきた。耐え難い苦痛が彼を苦しめたのである。それにともなって、「病床六尺」の記事も短くなり、また苦痛を吐くものが目立ってきた。死の直前明治35年9月12日から14日にかけての「病床六尺」には、そんな痛みが述べられている。

「百二十三 支那や朝鮮では今でも拷問をするそうだが、自分はきのう以来昼夜の別なく、五体なしといふ拷問を受けた。誠に話にならぬ苦しさである。」(9月12日)
「百二十四 人間の苦痛はよほど極度へまで想像せられるが、しかしそんなに極度にまで想像したやうな苦痛が自分のこの身に来るとはちょっと想像せられぬ事である。」(9月13日)
「百二十五 足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大般若の如し。僅に指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号叫、女?氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。」(9月14日)

子規はしかし、この苦痛のさなかにあっても、頭脳の明晰と感情の抑制を失わなかった。9月14日には高浜虚子に「9月14日の朝」と題する小文を口述筆記させた。それには「病気になって以来今朝ほど安らかな頭を持ってこの庭を眺めたことはない」といい、またその庭を眺めて、「たまに露でも落ちたかと思ふやうに、糸瓜の葉が一枚二枚だけひらひらと動く」と感想をもらした。そして納豆売りがきたのを聞くと、「納豆売りでさえこの裏路へ来ることは極めて少ないのである。・・・余は奨励のためにそれを買ふてやりたくなる」といった。
9月18日には庭先の糸瓜を写生するつもりになったのだろう、傍らの画板を取り寄せると、それに句を三つ書きつけた。

  糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
  をととひの糸瓜の水も取らざりき
  痰一斗糸瓜の水も間にあはず

これが子規の絶筆になった。その夜子規は誰にも気取られぬうちに、病床の中で静かに生きを引き取ったのである。時に明治35年9月19日の未明であった。その晩子規の家に泊まっていた高浜虚子が急を告げるために外へ出ると、十七夜の月が明るく照っていたそうである。・・・」

画像:「妙音」
www.myclinic.ne.jp/ hirazono/pc/free.html より Orz~
「北村四海(1871~1927):現在は忘却されているが大理石彫刻の第一人者である。滞欧中に結核を得、帰国後27年もの間、喀血しながら名品の数々を世に送り出した稀有の精神力の人でもある。この作品は大正7年の第6回国民美術協会展に無鑑査出品されたものである。タイトルは「妙音」。再評価が待たれる彫刻家である。」

たまたま見つけたけど...これは美しい♪

関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック