「もし近寄れば、刺す」

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吉田松陰が「狂」であれと塾生を感化したと記憶してる・・・♪
世の中の変革を為す者は「奇人・変人・狂人」と呼ばれるのが常なんだ...
小泉純一郎は奇人を自認してたじゃないですか ^^v
今の瑕疵・間違いに気付いた者は、、、そうでない者からは「奇人、変人、狂人」にみられる宿命だろうなあ...^^; わたしゃ...「愛人」も同様に大好きだけど...^^;v

http://www.e-comon.co.jp/magazine_show.php?magid=245 より Orz~
「『狂夫』
●狂にいたるにはどうすれば良いか。それには常識的な考えを拒否し、狂を愛し、自ら狂夫たろうとすることである。

「もし近寄れば、刺す」

娼婦にすりよられて若き松陰(当時22才)は、そう言い放った。
一切、女性を性的対象とは見なかった吉田松陰の存念はこうだ。
以下は、『世に棲む日日』(司馬遼太郎著 文春文庫)より引用。

・・・
要するに人間には精気というものがある。人それぞれに精気の量はきまっている。松陰によればよろしくこの精気なるものは抑圧すべきである。抑圧すればやがて溢出する力が大きく、ついに人間、狂にいたる。松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。それが、おのれの欲望を解放することによって固有の気が衰え、ついに惰(だ)になり、物事を常識で考える人間になってしまう。自分は本来愚鈍である。しかしながら非常の人になりたい、非常の人とは、狂夫である。何人(なんびと)でも狂夫になり得ると思う。欲望さえおさえれば、だが。
・・・
●この松陰の思想は、孟子からきている。孟子は松陰にとって、終生の道しるべであり、その影響を受けて17才のとき松陰は「寡欲論」という小論文を自分の戒めとして書きあらわしている。
さて、娼婦をしりぞけた松陰の自戒を聞かされた友人の江幡五郎は、「念のために聞くが、君は我らを軽蔑するか」と尋ねた。旅中において何度か娼婦をふしどにまねきよせ、松陰を廊下に寝かせた経験があるからだ。それに対し、松陰はあわててそれを否定し、赤面しつつこう答えている。
●「私の自戒は私だけのものだ。両兄はそれでいいのだ。両兄には、本来英雄の素地があるようにおもうが、この寅次郎はただの人間で、ただの人間というのは、みずからを教えたり戒めたりしてゆかねば
ならない」
・・・
●「狂」と「禁欲」とは同義語に近いものかもしれない。欲望のおもむくままに物を買い、飲食し、異性と関係をもち、興味本位であらゆる仕事に手を染めしていると、「禁欲」とは無縁の生き方になる。やがては、精気とともに才能をも溢出させ、「狂」から遠ざかっていく。
・・・
●人生の成功は、後天的な自己の啓発の成功に他ならない。三年前、私はベンジャミン・フランクリンの「13徳」について述べた。印刷工から身をおこし、実業界で立身出世。科学者、出版業者、哲学者、経済学者、政治家、そしてさまざまな啓蒙活動を通してアメリカ資本主義の原点を作った人物だ。独立宣言書の起草者でもある。その彼が25才のころ、借金を背負って印刷会社を経営しつつ子供が誕生。いままで以上に、自分が精進しなければならない、と発奮して13徳を樹立し、生涯これを自己チェックした。

今日は、それをご紹介して筆をおく。

第一 節制・・・飽くほど食うなかれ、酔うほど飲むなかれ
第二 沈黙・・・自他に益なきことを語るなかれ、駄弁を弄するなかれ
第三 規律・・・物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
第四 決断・・・なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
第五 節約・・・自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち浪費するなかれ。
第六 勤勉・・・時間を空費することなかれ。つねに何か益あることに従うべし。
無用の行いはすべて絶つべし。
第七 誠実・・・いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまた然るべし。
第八 正義・・・他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
第九 中庸・・・極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
第十 清潔・・・身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
第十一 平静・・・小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
第十二 純潔・・・性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、
身体を弱め、または自他に平安ないし信用を傷つけるがごときこと、あるべからず。
第十三 謙譲・・・イエスおよびソクラテスに見習うべし             」

なんだか、わたしには、、、両者は矛盾してるように思えちゃうんですが・・・?
どちらにせよ、世俗の齟齬に気付いてもそれに自分を合わせて行く覚悟で生きるか(天動説)、あくまで自分を貫いて(地動説)「狂」に生きるか・・・この二者択一が偉人と呼ばれる人には読み取れるって訳かな...^^
凡人であるわたしにはどちらも無理そう・・・ただ、、、「狂」的に生きたいという性向が内在してる自分には気付いてる...


画像:吉田松陰像(自賛)[吉田家本]
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/bunka-s/ishin/topics/topics-no.1.html より Orz~

http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田松陰 より
「幼時の名字は杉(本姓不明)。幼名は虎之助。養子後の名字は吉田、大次郎と改める。通称吉田寅次郎。諱は矩方。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。松陰の号は寛政の三奇人の一人で尊皇家の高山彦九郎のおくり名にちなんでつけられた。また、「二十一回」については、名字の「杉」の字を「十」「八」「三」に分解し、これらを合計した数字が「二十一」となること、および、「吉田」の「吉」を「十一口」、「田」を「十口」に分解でき、これらを組み合わせると「二十一回」となることによりつけられている。」

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