社会保障の来し方行く末…^^

こないだモーニング食べながらこの記事を読んでたんだけど…
大変わかり易かったもので…☆
来し方行く末(こしかたゆくすえ)を想うときのインフラ知識としてスクラップ!!
日本経済新聞社さん、新聞から打ち込んだので大目に見てね Orz~
昔のお坊さんが仏教伝来時に写経したようなものなのだと…^^

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*途中大きく落ち込んでる年は丙午という年で…

https://ja.wikipedia.org/wiki/丙午 より Orz~
丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信は、丙午の年には火災が多いという江戸時代の初期の迷信が、八百屋お七が1666年の丙午生まれだとされたことから女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる。江戸時代には人の年齢はすべて数え年であったため、もしも八百屋お七が1666年の丙午生まれならば放火し火あぶりにされた天和3年(西暦1683年)には18歳になってしまう。西鶴などの各種の伝記では16歳となっている。しかし浄瑠璃作家紀海音が浄瑠璃「八百やお七」でお七を丙午生まれとし、それに影響された為長太郎兵衛らの『潤色江戸紫』がそれを引き継ぎ、また馬場文耕はその著作『近世江都著聞集』で谷中感応寺にお七が延宝4年(1676年)に掛けた額が11歳としたことが生年を寛文6年(1666年)とする根拠となった。紀海音は演劇界に強い影響力を持ち、文耕の近世江都著聞集も現代では否定されているものの長く実説(実話)とされてきた物語で有り、お七の丙午説はこのあたりから生じていると考えられている。・・・

1966年生まれ

この迷信は昭和になっても強く1966年の出生率は前年に比べて25%下がった。子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が地方や農村部を中心に多く、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なくなった。一方で前年および翌年の出生数は増加している。なお、出生数が1966年を下回るのは本格的な少子化時代に入った1989年以降である。
1966年に生まれた子供は少なかったことから、この学年度(翌1967年の早生まれを含む)の高校受験大学受験が他の年より容易だったのかについては当時からしばしば論じられた話題であったが、大学一般の入学率については有意な差がみられないものの、国公立大学への進学率は1985年に上昇した。またこの年の子供は第一子(初めての子供)率が50.9%で統計史上過去最多であり、少子化が進んだ現代でもこの数値は超えられていない。

*赤字の意味がよくわからないんだけど…^^;...2人目以降はこの年には生まなかったという意味なんでしょうが...少子化の今なら...毎年2人目はほとんど産んでないはずなんですのにね…?
*60年周期でやってくるわけだけど…次の2026年(11年後、TOKYOオリンピックの6年後)...すでにいまの特殊出生率の方が低いわけだから...いまの少子化の要因以上のバイアス源にゃならないと予想しますけど…?…^^;


日経新聞(201582) より Orz~
「戦後70年日本のかたち-5-
老いた「夢の福祉国家」 社会保障巨大化の軌跡
 
終戦から16年後の1961年。街には石原裕次郎と牧村旬子が歌う「銀座の恋の物語」が流れていたこの歳、日本は夢の福祉国家に踏み出した。すべての国民が安い費用で医療サービスを受けることができ年金ももらえる「国民皆保険・皆年金」を導入。経済成長を国民の安心につなげる仕組みを取入れたのだ。
 
成長の果実「皆年金」
  60年代~
61年当時、世界でもまだ珍しかった国民皆保険・皆年金。先行したのはすべての国民が健康保険などの公的医療保険制度に加入する「皆保険」だった。「あっという間にできた印象がある」。54年に厚生省(現厚生労働省)に入った幸田正孝・元厚生事務次官(83)は国民皆保険についてこう振り返る。大正時代に工場労働者を対象とした健康保険法が制定され、昭和に入ってからも農民などを加入者とする国民健康保険精度がつくられていた。これらを拡大していく形で皆保険が実現した。「すでに基盤があったうえ、市町村長の要望も強かった」(幸田氏)
一方、すべての国民が公的年金制度に加入する「皆年金」はすんなりとはいかなかった。戦時中に今の厚生年金の原型となる年金制度はつくられていた。しかい、それは工場労働者など雇われて働き、定年があるという労働者のための制度。定年がない自営業者や農業従事者なども含めた全国民に年金が必要という認識は政府にはあまりなかった。だが、都会で就職しふるさとに戻らない若者が増え親の面倒は子どもが見るという日本の伝統が崩れ始めていた。年金に関する国民の関心も強まり自民党や社会党が皆年金を選挙公約に取入れた。そして自営業者らのための国民年金もつくられ、皆年金が実現していく。55年の厚生省入省後間もなく国民年金制度づくりに携わった吉原健二・元厚生事務次官(83)は「政治主導だった」と語る。当初は保険料負担に対する反発もあった。なんとか発足した国民年金は月100円の保険料を25年払えば、65歳から月2千円の年金がもらえる設計。サラリーマンの平均月収がおよそ4万5千円の時代にささやかな仕組みとして出発せざるを得なかった。高度経済成長の波に乗り国全体が豊かになる一方、67年には総人口が1億人を突破。保険料や税で社会保障制度を支える現役世代も増え続けた。医療や年金などすべての福祉制度が拡充し日本は夢の福祉国家への階段を駆け上がっていく。福祉元年と呼ばれた73年。70歳以上の高齢者が病院にかかった際の自己負担がなくなり、無料で医療を受けられるようになった。時の首相は田中角栄氏。日本列島改造論を掲げて登場した田中氏は公共事業だけでなく、社会保障の拡充にも意欲的だった。厚生年金では、現役男性の平均月収の6割が標準的な年金金額の目安となり月5万円の年金が実現。国民年金でも夫婦で月5万円にまで達した。皮肉にも、夢の福祉国家は福祉元年の73年に転機を迎える。この年の暮れ、第1次オイルショックが起こり、日本は戦後初のマイナス成長に陥る。
 
少子化対策後手に
  80年代~
高度成長は終わりを告げる。すでに70年代に人口に占める65歳以上の人の割合が7%を超え日本は「高齢化社会」になっていた。第2次オイルショックが起きた79年。大平正芳首相は公的支援を拡大して来た潮流を改め自助努力や家庭の役割を重視する「日本型福祉社会」を提唱した。社会保障制度は「このママではだめだとの雰囲気が出始めた」(吉原氏)ためだ。82年、政府は老人保健法を制定。高齢者が医療を受けた際に一部負担金を求めることにした。年金についても85年の制度改革で初めて本格的に給付水準を引き下げることになった。痛みを伴う改革はゆっくりとしか進まなかった。長寿化に対応し厚生年金の受給開始年齢を60歳から65歳に引き上げることも検討したが、反発が強く85年改革では見送られた。結局、94年と2000年の改革で25年度までかけて段階的に実現(男性の場合。女性はさらに5年遅れ)することが決まった。給付が絞れないなら、その分きちんと財源を確保できたのかというと、そうではなかった。厚生相や自民党税制調査会長などを歴任した津島雄二・元衆院議員(85)は「80年代は野党を中心に『減税』の声ばかりが強かった」と回顧する。増大する社会保障の財源として消費税を充てる考えは「60年代からあった」(津島氏)。だが、消費税が導入されたのは89年。その後も減税は続き、国の財政は悪化の一途をたどる。少子化対応も後手に回った。89年、「157ショック」が起こる。1人の女性が生涯に生む子どもの数が2を大きく割り込み、過去最低となったのだが、政府は「『産めよ増やせよ』の戦時政策の反省から人口施策に関わるべきでないとされていた」(幸田氏)。円高不況を乗り越えた日本はバブル経済に突入、高揚感に包まれていた。岡本圀衛・経団連副会長(70、日本生命保険会長)は「ベビーブームはまたやって来るという雰囲気だった」という。経済界が事態の深刻さを認識したのは「生産年齢人口が減り始めた96年」(岡本氏)ごろだった。社会保障改革は21世紀に入り本格化したが、その軌跡はちぐはぐ感が強い。2000年には深刻化する介護問題の解決の切り札として介護保険制度を導入した。だが介護が必要な高齢者が想定を上回るペースで増え、制度は相次ぎ修正を迫られる。04年には現役世代の際限のない負担増を抑えようと、年金保険料に上限を定めその財源の範囲で年金を給付する仕組みを導入。12年には社会保障と税との一体改革関連法が成立した。社会保障費の財源となる消費税を5%から8%、さらに10%まで引き上げていく方向性が固まった。だが、社会保障拡充を主導した政治も痛みの伴う改革はためらいがちで改革の歩みは鈍い。足りない財源を国債発行に頼る構図が続き国の借金は1000兆円を超した。政府推計によると、25年度の社会保障給付費総額(自己負担を除く)149兆円。12年度比36%増え同期間の国内総生産(GDP)の増加率(27%)を大きく上回る。戦後にかたち作られた世界に冠たる日本の社会保障。理想を追い求め巨大化したが、恩恵を受ける人と負担する人の不公平感は強まっている。人口減と低成長が日常の風景になるなかで、どう未来に引き継げばよいのか。解はまだ得られていない。(担当:編集委員 山口聡) 」
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コメント

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スモークマン

大まかな直感ですけど...人が動物から遊離してしまい過ぎてるからじゃないのかいなぁなんてことを…動物は子孫を本能で多く残すようになってる(多く死んじゃう可能性が高いからだけじゃないと思うんですけどね)からじゃないのかな...要らぬ邪念が多すぎる...自分が如何に生きやすかということのみの追求(快楽至上主義...他人のことが言えた義理じゃございませんが…^^;)ってのは、人の脳ならではの宿命…"人とは避妊する動物である" by スモークマン…ってのはさておき、しかも、本能で育児するしかない女性の脳も(偏見?…Orz)男性化してるからのような気がしてます…^^;…なぜ、男性化してるのか?...という問題が生まれちゃいますけど…Orz~

この話題とは別だけど...どうして人の寿命は伸び続けてるのか?っていう問いも...考えてみたいと思ってます ^^

No title

スモークマン
>yan_yanさんへ ^^
これが、たしか2.03以上でないと人口源になると言われてるはず…
日本の少子化が止まらないのは、乳児死亡率が激減しての少産多死、教育費が高すぎる、住居が狭すぎる、社会全体で子どもの世話をする(核家族化したが故)システムが全然不足してる…逆に、親の方も子どもに老後を見てもらおうなんて思わなくなってるからその担保(^^;)としての子どもを多く産んでおこと思わない...みたいなことを考えたりした記事もアップしてたと思いますが…

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スモークマン
>11:38pmの鍵コメY様へ ^^
考察グラッチェでっす♪
そうだと思うのですが…今は、第1子が半分以下だと読めるんですが…そうすると、毎年、第2子以上を産んでる人の方が多いわけで、特殊出生率が2を超える気がしちゃうんですが…?…Orz~

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yan_yan
その折れ線グラフ、興味深いですね。イタリアとドイツも少子化が進んでいるのは知っていましたが、韓国がそれ以上に少子化なのですね。知りませんでした。どの国も、どうして女性が子供を産まなくなったのか判っているのでしょうかね。
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